Cleopatra・クレオパトラ
「クレオパトラ」は、サトウキビ原料の「ラム」をベースに、香り高い「コーヒー・リキュール」と、滑らかな「ホイップクリーム」で構成されるショートカクテルでございます。
[カクテルレシピ]
ラム 50ml
コーヒーリキュール 20ml
フレッシュクリーム 40ml
シュガーシロップ 2tsp
ナツメグ
ラム、コーヒーリキュール、シロップをシェイカーに入れて混ぜ合わせ、グラスに注いだあと、泡立てたフレッシュクリームを静かに注ぎ、最後にナツメグを振りかけて完成。
[お酒の解説]
[お酒にまつわるお話し]
このカクテルは、いつ誰がどのような想いで創ったのか、詳しい事は分かっておりません。
名前の由来に付きましては、「世界三大美女」と称されるエジプトの女王「クレオパトラ7世」に因んで、造られたカクテルと言われております。
「クレオパトラ7世」は、古代エジプトを「270年」にも渡り「統治」し続けた「プトレマイオス朝」の「最後の女王」で、父親である「プトレマイオス12世」と、母親の「クレオパトラ5世」の三女として、「紀元前69年」この世に生を受けます。
「紀元前51年」「クレオパトラ7世」が「18歳」の時、王である父が逝去すると、父の遺言に従い、10歳下の弟「プトレマイオス13世」と結婚し、共に王位である「ファラオ」となり、共同でエジプトを統治し始めます。
「絶世の美女」として知られる「クレオパトラ7世」は、幼き頃より「美への追求」に熱心だったと云われており、風呂や寝室を「薔薇の花びら」で埋め尽くし、肌に良いとされる「蜂蜜や牛乳」などを配合した特別な湯船に浸かり、「メイクやマニキュア」などの研究にも励んでいたと云われております。
また「クレオパトラ」は見た目の美しさだけではなく、「教養」も非常に高かったと云われており、当時とても重要であった他国との「外交力」を磨くために、「5ヶ国の言語」を習得し、「演説」の研究に勤しんだと云われております。
その「美貌」と「素養の高さ」は、当時もっとも強大であった「ローマ帝国」にも鳴り響き、多くの人々を魅了したと云われております。
「賽は投げられた」「ブルータスお前もか」の「名言」で知られるローマ帝国の英雄「ガイウス・ユリウス・カエサル」。
詩人「ウィリアム・シェイクスピア」の作品でも知られる、ローマ帝国の軍人「マルクス・アントニウス」も「クレオパトラ」の虜になったと云われております。
「クレオパトラ」のその「美貌」は、後世にも語り継がれて行き、「17世紀頃」に活躍したフランスの哲学者「パスカル」にも、
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」
と言わしめました。
「エジプトの地」を守るために、「ローマ帝国」との「外交」に尽力する「クレオパトラ」ではございましたが、「ローマ帝国」の勢いは止まることを知らず、「紀元前31年」「ギリシャ・アクティウムの海戦」で、「エジプト軍」は大敗を喫すると、その刃は喉元に迫ります。
命からがら、エジプトの地に戻った「クレオパトラ」ではございますが、一緒に戦ってくれた「ローマ軍人」であり、愛する「夫」でもある英雄「マルクス・アントニウス」が「毒」による「自害」したとの報を受けます。
悲しみに打ちしがれる「クレオパトラ」は、その10日後に、自らその身を「毒蛇」に噛ませ、アントニウスの後を追い、「紀元前31年」享年「38歳」の若さでこの世ります。
それと同時に、長い繁栄を築いたエジプト「プトレマイオス朝」は、終焉を迎える事となりました。
「美しさ」のイメージが強すぎるが故に、少し「傲慢な」イメージを持たれがちな「クレオパトラ7世」ではございますが、愛する「エジプトの大地と民」を守るために、「その身と人生を捧げた彼女の生き方」こそが、「絶世の美女」と称される源なのではないかと、私は感じております。
カクテル「クレオパトラ」は、ベースの「ラム」で「力強さ」を、「コーヒーリキュール」で彼女の美しい「黒髪」を、柔らかく白いクリームで、「美貌」と「教養」を見事に表現しており、エジプト女王を冠するに相応しいカクテルとなっております。
さて今宵は、エジプトの絶世の美女に想いを馳せながらクレオパトラなどいかがでしょうか??
[今回使用したお酒]
[今回使用したバーツール]
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