M-30 Rain・エム サーティ レイン
このカクテルは、「ウォッカ」をベースに、「グレープフルーツ」と「オレンジ」の2種類の「リキュール」、そして「ライム」で構成されたショートカクテルでございます。
[カクテルレシピ]
ウォッカ 55ml
グレープフルーツ リキュール 10ml
ライムジュース 10ml
ブルーキュラソー 5ml
上記のお酒をシェイカーに入れて混ぜ合わせる。
[お酒の解説]
[カクテルにまつわるお話し]
このカクテルは、「1988年」銀座のバーテンダー「上田和男 氏」が、作曲家「坂本龍一 氏」にプレゼントしたカクテルと言われております。
名前の由来に付きましては、「坂本龍一 氏」が「出演」し、「音楽監督」を務めた映画「ラストエンペラー」に由来しております。
劇中「全44曲」からなる「挿入歌」の中で、坂本さんが最も好きだったと言われる「30番目」の曲「レイン」をテーマに創られ、「M-30」の「M」は「ミュージック・ナンバー」を表しているそうです。
今宵は、「2023年3月22日」に永眠された天才作曲家「坂本龍一 氏」についてお話しさせて頂こうと思います。
「坂本龍一」は、東京都・中野区にて、敏腕編集者であった父と、実業家の娘で帽子のデザイナーであった母の子として、「1952年」「1月17日」にこの世に生を受けます。
「3歳」の時に幼稚園の音楽のカリキュラムで、初めて「ピアノ」に触れ、「5歳」の時に先生から「作曲の課題」を与えられると、人生初となる「ウサギのうた」を作曲したと言われております。
「小学校」に入学すると、ピアノ好きだった叔父の影響を受け、「音楽の父」と称される、ドイツの偉大な作曲家「バッハ」の音に出会い魅了されていきます。
「10歳」の頃には、音楽の才能は溢れ出し、当時のピアノ講師「徳山寿子 先生」に、本格的に「作曲」を学ぶように勧められると、東京藝術大学教授「松本民之助 氏」に師事し「作曲」を学び始めます。
その後「中学生」の時に、「音楽の道」から離れた時期もありましたが、それがきっかけとなり、さらに「音楽への情熱」が開花すると、「音を探究」し続け、「1974年」「音楽の東大」と称される「東京藝術大学・音楽学部・作曲科」に、見事入学を果たします。
卒業後は、「YMO」「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成し、日本で爆発的な人気となると、その「独自の音楽性」は世界的にも評価され、「坂本龍一」の名は少しずつ世界に知れ渡って行きます。
その後の「1983年」「31歳」になると、「坂本龍一 」さんに、今までとは違った「新しい道」を歩む事となる、一つの転機が訪れます。
それは、映画界の巨匠「大島渚・監督」からの「戦場のメリークリスマス」への「出演」依頼で、坂本さんは「映画音楽の担当」を条件に、「よのい大尉役」で映画に出演し、世界的有名なロックスター「デヴィッド・ボウイ」や、「ビートたけし」さんと共演を果たします。
この映画は「第36回」「カンヌ国際映画祭」に出品され、映画自体は「無冠」に終わったものの、「坂本龍一 氏」の音楽は高く評価され、「英国アカデミー賞・作曲賞」を日本人で始めて受賞します。
ここから「映画音楽」とも深い関わりを持つようになり、「1987年」「35歳」の時に「音楽担当」と「出演」を果たした、映画「ラストエンペラー」において、世界最高峰の音楽賞の一つとされる「グラミー賞」で、「ゴールデン・グローブ作曲賞」と「アカデミー作曲賞」を、日本人として始めて受賞し、「世界の坂本」としての地位を確立していきます。
「2014年」に中咽頭ガンが発見され、そこから長い闘病生活を余儀なくされますが、「音楽」を通じて、「世界平和」や「環境問題」と向き合い、新たな「音楽の可能性」を探究し続けるも、「2023年3月22日」「享年71歳」にて、世界中の人々に惜しまれながら、その人生に幕を閉じました。
音楽に人生を捧げ、そして「音を楽しむ」事に全力を注いだ「坂本龍一 氏」が、生前に好んだ「ラテン語」
「 Ars longa,Vita brevis 」
「 芸術は長く、人生は短し 」
「 人の命は短いが、優れた芸術作品は死後も後世に残る」
この生前に愛した「ことわざ」の通り、「坂本龍一」さんの「音楽」は、これからも世界中の人々に愛され、色褪せることなく、魅力し続けて行くと思われます。
さて今宵は、坂本龍一さんの音楽に想いを馳せながら、M-30 Rain などいかがでしょうか??
[今回使用したお酒]
※終売により代替品を記載
[今回使用したバーツール]
※当店で使用している製品に近い物を掲載させておりますが、様々な商品がございますのでご参考までにどうぞ。